本日6月22日(土)、続いていた雨も上がり、久しぶりの良い天気・・・という程では
ないにせよ、まずまずの天気の中、定例会がありました。
しかも中2日で ・ ・ ・ ・ ・ (!?)
と言うのは、うまいこと休みが取れまして、20日の定例会に参加出来たからなんです。
そして22日の定例会と、3日と空けずにマージャンなんて、本当に久しぶりです。
前にも申し上げましたが、勤め人となりそして家庭を持ちますと、そうそう自由になる
時間というのは、なかなか望めるものではありません。
ですから、この週については非常に充実していましたし、何だか学生に戻ったような
気分でありました。
もちろんそれだけでなく、マージャンの“カン”というのも、多少は冴えたかな・・・という
感覚がありました。
まあそれで勝ったか負けたかというのは抜きにしても、狙っていた形から意に反した流れに
なった時に、どのように切り返したらよいかという場面で、より効果的な選択が出来た回数が
多かったような気がします。
でも“マージャン”というものを、これ程考えるようになったのも、“じゅうしまつ会”があればこそ
なんじゃないかと思います。
若い頃は(今でも若い気ではいますけど・・・)、何が何でも“アガる”ことばかり考えていました。
でもこうして“じゅうしまつ会”で、海千山千(!?)の会員の方々に揉まれるようになって、
“マージャン”というものを、より深く考える必要性を教えていただきました。
一打一打を偶然の必然とするか、必然の偶然にするか、自分の周りに流れる僅かな変化を
見逃すか、見切るか、様々な決断を即座に要求される連続の中で、その決断は当人の“哲学”に
及ぶのではないでしょうか。
その人が今まで、どのような思想で生きてきたか、どんな信念を持っているのか・・・・・
A型である私の一方的な考えですが、“マージャン”をトランプや花札のような、“組み合わせ
遊び”と考えることが出来ません。
折角“じゅうしまつ会”に出会えて、また“マージャン”が出来るのですから、この際もっと深く深く
“マージャン”を掘り下げたいと思います。
少なくとも、それが出来る“じゅうしまつ会”ですから・・・・・。